2013年5月5日日曜日

エドワード博士を偲んで(ノーベル賞受賞者との偶然の同席)

1978年世界初の体外受精児を誕生させ、2010年にノーベル医学生理学賞を受賞したロバート・エドワード博士が4月10日に亡くなられました。87歳でした。
エドワード博士の業績は、ここで述べるまでもありませんが、初期には 「試験管ベビー」と呼ばれ、生命の誕生に人が手を加えることの是非で大論争になりましたが、現在は不妊症の中心的治療として定着しています。体外受精・胚移植により世界ですでに400万人が誕生し、日本でも、毎年1万人以上のお子さんが体外受精や顕微授精などでの高度生殖医療で誕生されています。

現在不妊治療に関わっている私にとっても、生きがいや生きる意義を与えて下さった方と考えています。
実はおよそ12年前のことですが、エドワード博士とは、2001年にお目にかかる機会がありました。日本での第4回日本IVF学会(淡路島)だったのですが、エドワード博士も招待されていたのです。
すでに発表が始まっていた学会場に遅れて入った私は、暗い中で混雑している会場で、目の前に偶然?空いていた椅子に”ラッキー”と思って座ったのです。ある発表が終わって、明かりがついたときに隣を見て驚きました。隣に座っていたのがエドワード博士だったのです。
何と、”偶然”空いていたと思っていた椅子は、おそらくは他の皆さんが遠慮して座らずにいたために空いていた椅子だったのでした。遅れてきた私は、隣が誰かも判らずに座っていたのです。
エドワード博士は、隣に座った誰だかも分からない若造に、その時の発表に対してのコメントを気さくに話しかけてきました。私は舞い上がってしまい(舞い上がってなくても同じだったと思いますが)、何を言っているのか良く判らずに、単に”YES”YES”と微笑み返しをしているだけでした。
エドワード博士は、とても温和で暖かみのある話し方をされ、理解していないであろう若造にも、笑顔で話して下さりました。私は、その時には尻込みしてすぐにでもその場を離れた方が良いのではないかと思っていましたが、今では今後2度とないであろう、ノーベル賞受賞者との接触だったのです。エドワード博士は握手にも気さくに応じて下さりましたが、暖かく柔らかい大きな手であったと記憶しています。
世界に影響を与える業績を積み上げたにもかかわらず、柔和で、気さくに話しかけて下さったエドワード博士のお人柄は、(業績では当然目標にすることさえおこがましいのですが)、今でも私のお手本でなのです。エドワード博士の日常をほとんど知らない私がこのように書くこと自体不遜かもしれませんが、勝手にお手本・目標にしていることはお許し頂きたいと思っています。
エドワード博士をお手本に、私もあと何年がんばれるか判りませんが、自分の生きがい・存在意義を認識しつつ、エドワード博士の業績の恩恵を一人でも多くの皆さんに届けられるよう精一杯生きていきたいと思います。
エドワード博士のご冥福をお祈り致します。合掌





     



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